愛着理論へのIFSの貢献

IFS創始者のRichard Schwartzが2015年に、あるシンポジウムの冒頭で愛着理論へのIFSの貢献について触れました。以下は、YouTubeで公開されている映像に、日本語訳の字幕を付けたものです。

「Subtitles」の所で「Japanese」を選んで、その横の「cc」をオンにすると日本語字幕が見れます。

<日本語字幕のスクリプト>

どのくらいの人が愛着理論の影響を受けていますか?
なるほど、そうですね
この分野に多大な影響があったことがわかりますね
それは素晴らしいことです。なぜなら
人々は今ではただ不条理な信念を正すだけでは十分ではなく、
これらの回避的あるいは不安定な愛着を持つ
私たちの中の幼いパーツが
信頼のできる誰かと信頼関係を見出す必要がある
という事実に、
より気づいているということだからです。

その誰かがセラピストである場合、
そのプロセスはとても癒しになるでしょう。
と同時に、それは長い時間を要し、
とても激しいセラピーの関係性を伴うかもしれません。
強い依存が起こるかもしれないし、
転移もしくは逆転移が起こり得るからです。

もし、、、
セラピストやパートナーではなく
クライアント自身が、
エグザイルのパーツの、
良い愛着対象者になることが可能だとしたら、どうでしょうか?

もし、これらの不安定な回避的愛着を持つパーツの
第1のケアーテーカー(養育者)に、
クライアント自身がなれるとしたら?
エグザイルは、パートナーやセラピストを
第2のケアーテーカー(養育者)として自由にするでしょう。

そうなると、セラピストやパートナーの役割は、
大きくシフトし、
解放されたと感じるだろうし、
クライアント自身も依存をあまり感じることなく、
代わりに、クライアント自身が自らを癒したというパワー、
どのように自己調整できるかを知っているというパワーを、
感じるでしょう。

将来において、セラピーはより短かなものになるでしょう。
それが可能となるために、
幾つかの前提を持つモデルを必要としています。

第1に、人々はパーツから成り立っていること。
大人の有能なパーツが複数いて、
他の複数のパーツは、愛に飢え、孤独で、恥を感じています。

第2にモデルが前提とするのは、それらのパーツに加えて、
人々の中に既に在る、
良い愛着対象者の質を担い、それらのパーツの
良き内なる親となり得る本質的な存在です。

IFSでは、
それをセルフと呼んでいます。

さっきジョンが話していたのは、
人々をそれらのパーツから分け隔てると、
自動的にこの、私たちがセルフに導かれたと呼び、
この分野の他の人たちが呼んでいるマインドフルネスの状態
に入るということです。

あなたの思考や感情が通り過ぎるのを
ただ眺めているだけではなく、
私たちはセルフが苦しみの存在から基本的に放射していると見て、
セルフからの慈悲を用いてこれらのパーツを知り、
助けるのです。

このセルフについて発見の経緯に戻ると、
このプロセスを試している間に私は、
クライアントが文字通り、
エグザイルを抱擁し始め、
ただ幼いパーツが気持ちよく落ち着くだけではなく、
実際に、
トラウマや愛着の傷から得た極端な信念や感情の重荷をも降ろす
ことができるのを見出したのです。

クライアントがそうする時、しばしば瞬時に、
自然な価値ある状態に変容し、
傷付く前にあった、
無垢や創造的で喜びのある存在に戻るのです。

その他の良いニュースは、
まもなく私が紹介するあるセッションのビデオで見るように、
安定した愛着が、
何ヶ月も何年もかけて築かれる外側の安定した愛着よりも、
とても素早く起こるということなのです。

傷付く前に、
しばしばエグザイルのパーツというのは、
私たちの中で一番遊び心を持っていて、
敏感で無垢で創造的なパーツです。
しかし敏感だからこそ、家族の中で、トラウマの中で、
一番傷付いているパーツなのです。

私が前にお話しした通り、
それらのエグザイルのパーツは、重荷を抱えたままスタックし、
過去のシーンにおいて固まったままなのです。
そして、私たちはそのことをこれ以上感じたくないし
それを抱えたまま機能することは困難であるので、
それらのエグザイルのパーツを閉じ込めてしまい、
私たちの一番価値のあるリソースを閉じ込めてしまったことさえ
知らないでいるのです。

つまり、それらのエグザイルのパーツは世界によって傷つき、
更にその傷は、私たちによって見捨てられるという辱めを受けているのです。 これらのエグザイルのパーツが癒されるのに必要なことは何でしょう?
新しい内側の愛着関係が必要です。

最初の方でお話した通り、
一つの重要な側面というのは、
過去傷付いた時に、
その時間に固まってスタックしているパーツに、
何が起こったか、クライアント自身が本当に知ることなのです。
そうすることで、クライアント自身がそれらの痛みに対する
思いやりを持った目撃者になります。

そして、これらのパーツをそれらのシーンから
安全な場所に連れ出すプロセスがあります。
先ほど、この良き内側の親であるセルフがいる
というアイデアをほのめかしましたが、
一体それは誰なのでしょう?

30年以上前になりますが、私は、
これらのパーツの表面の直ぐ下に、
ひとたびアクセスすれば、良い愛着対象者となる
傷付くことのない本質が横たわっていることを発見し、
よろめきました。クライアントにとってただ必要なのは、
このスペースに開かれることなのです。

ジョンが話したように、仏教においては無我と呼ばれる、
まさにパーツではない、
パーツがリラックスして退く時に、
開かれるスペースで、
空(emptiness)が充ちる、
それを私はセルフと呼んでいます。

そして、パーツが十分に信頼してそのスペースの開かれる時、
セルフは自然に立ち現れ、
好奇心(curiosity)、思いやり(compassion)、
落ち着き(calm)、自信・信頼(confidence)のような、
全部言いませんが他の4つのCで始まる言葉の質を伴っています。

そして付け加えておきたいのですが、
ひとたびクライアントがセルフにアクセスするや、
言わばセッションを乗っ取り、
しばしば私からの指示なしに、
自然にパーツと愛し癒す関係を持ち始めるのです。